余生なう
誰かに見せようと思うからブログが続かないんだってさとりました。
ただただ自己記録!自己満足!書きたいことをメモする。
Twitterにおさまらないことをつぶやくだけ。
そう思って書きます。
最近の私も就活をしている。3月から始まってなんでまだ終わってないの?
私にもわかりませんと言いたいところですが理由ははっきりしてます。
まじめにやってないからです。
だって働きたくないんですもん。
私本当は歌ったり踊ったりするアーティストになりたかったんです。
てゆーか端的に言うとアイドルになりたかった。ハロプロ研修生になりたかった。
でも、むかしっから「ブス」っていじめられるような容姿でした。
容姿以外のとこで死ぬほど努力したの?といわれるとそれもしてない。
いやちがうな。演劇やってて、本番のための稽古は毎回死ぬ気で、他のこと捨ててやってましたけど。でもたくさんアイデアだしても、上達しても、どんどん立ち位置は下げられて、自分は組織の駒なんだと悟り、無給の駒に何の価値があるのか。とふてくされたんです。
昔から完璧主義な分諦めが早いんです。
ちょっとがんばれば一番になれることは続けられるけど、一回ダメだと思うとすぐ身を引いちゃう。
国立大学もそれで受けるのやめちゃったし。
でも最近思うんです。
今余生を送ってるって。
もう私の人生のピークは海外のステージでお客さんに笑顔を振りまいてたあの頃で。
あとはつまんないただのブスに成り下がって社会の歯車になるだけなんだと。
そう思うと死にたくて
就活のために偉そうな自己アピール書いてたら酔っぱらった親に読まれて、
「死ぬ気で頑張れます。じゃねーよ。死ね」
とかいわれるし。
企業の人には
「なんで芸術続けないの?」
っていわれるし。
私には特別な才能がない。
なんとなくそれっぽくみせるコラージュ機能だけ平均以上って感じ。
よーくわかってるからあきらめて就職しようと思ったのに。
唯一「ここなら働きたい」と思えた会社は最終手前で落ちるし。
もうねえ、電車が走ってくるたび、飛び込もうかと思うわけです。
余生を送るの疲れたし。最後くらいセンセーショナルに って。
でもさあ、次の日のニュースにアホ面さげた私の写真が掲載されて、
「都内大学生の〇〇さん、就職活動を苦に飛び込み。」
なーんてダサすぎじゃないですか。
親にも多額の損害賠償がついてまわるし。
なので飛び込んでません。
好きな物や人のためにいきたいって思うのは確かなんです。
大事なものに笑顔になってほしい。
でもなかなか難しいね。
好きなアーティストやアイドルから一方的に励ましてもらっちゃってて。
できればずっとみていたいような。
同じ世界にいきたかったような。
そこがはっきりしないから、だめなんです。
でも今日気づいた。
あと2年で25歳になってしまうし、5年たったら28歳。
あっというまに人生の三分の一を終えてしまうのだと思うと
余計な御託とかメンツとかプライドとかならべるより、素直にやりたいことやって破滅した方がまだよいんじゃないか?って。
ちょっと頑張りたい。頑張れる自分が昔から誇りだから、今頑張ってないから愛せないだけなんだと思うから。
とりあえず。
結婚したーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ベニーズ・ビデオ
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本日は学校を気づいたらサボっていた。
充分間に合う時間に起きていたのに。
今朝私の目を覚ましたのは目覚まし時計でも日の光でもなかった。
自宅の目の前にある小さな中学校の運動会の練習である。
怒鳴る教師、アナウンスの練習をする女生徒、応援練習をするダミ声。
閑静な住宅街に似つかわしくないその騒々しさにわたしは眉をひそめた。
ちっとも良い目覚めじゃない。
起き上がるのも面倒だったのでわたしはそのまま横になっていた。
運動会の練習がやっと終わったと思ったら、今度は工事の音が聞こえてくる。
けたたましいドリル音と同時に家が揺れる。
グワン グワン
耐えきれず起き上がって朝食を取るが今度はめまいがしてくる。
工事が終わるとわたしはまた横になった。
一日の始まりに全てのやる気を失ってしまった。
勿論、学校の授業はとっくに始まっている。
もう一回も休めなくなってしまった授業がまた、増えた。
既に留年しているから一単位も落とせない状況なのに私の心はどこか麻痺していた。
布団に横になっていると世間のことはすべて絵空事の様な気がしてくる。
大学も就活も、自分がモテないとかブスとか、そういう余計なことぜんぶ。
目をつむる。
少しずつ意識が遠くなっていく中で、遠くから笛の音が聞こえる。
どうやら運動会の練習が再開したようだ。
しかし先ほどまではあんなに気になった騒音も、もうほとんど夢の中に入った私の頭には届かなくなっていく。
完全に別世界、わたしは一人だった。
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さやです。
今日は夕方面接に行ってきました。就活です。
和やかな雰囲気で進むグループ面接。自己紹介で私の通っている大学が他の生徒よりも圧倒的に知名度があり偏差値が高いと分かると、無意識に肩の力を抜いて話すことができた。あまり良くないことだけれど、やっぱり学歴と言うのは確実に一つの安心材料になってくれる。逆に周りが東大生しかいなかったら絶対震えてしまうもん。
まあそんな感じで面接を終えて帰宅し、先日借りた『ベニーズ・ビデオ』のDVDをみたのです。
ミヒャエル・ハネケ監督の作品はたしか『ファニーゲーム』『隠された記憶』『ピアニスト』をみたのかな。
後授業で『セブンス・コンチネント』も断片的に見たな。水槽ガシャーン!てするとことか
どちらにしてもいずれも初期作品ですね。
私自身オーストリアやドイツには何度か行っていることもあって、この彼の映画特有な冷たい映像も、なんとなく立体的に見えてくる感じがある。
ハネケの作品には映像が映像であることを観賞者に意識させる、異化効果的な演出がよくなされている。
上記の私が観た作品の中だと『ファニーゲーム』『隠された記憶』が分かりやすい。
本作も例にもれずそうで、ベニー少年が撮りためた映像やテレビのニュース映像が映される画面が現れるシーンが数多く存在する。
『隠された記憶』もそうなんだけど、ヨーロッパ特有の、空爆だったり難民だったり、そういったニュースが沢山出てくるんだよね。
でもなんかやっぱりそういうニュースってどんなに深刻でも日常においては人ごとで、ベニー少年にとっては自分で撮影した家畜の豚が撃たれるビデオの方がよっぽど面白いわけ。
2016年の今、映像だけじゃなくて、SNSの普及やらなんやらでコミュニケーションですら画面の中で行われるようになった。色んなことが人ごと、机上での出来事に感じる経験は普通の人なら誰でも持っていると思う。
現実が、自分の身の上話が、なんか遠い。
・・・だからって女の子殺した後あんなボーっとしてられないけどな!!!爆
ベニーは行きつけのレンタルビデオ屋の店先で出会った少女をはずみで銃殺してしまう。
はずみ といっても撃ち込んだのは3発。
少女が痛みと恐怖で叫び声をあげるので(当然ですね)黙らせるためにとり乱したベニーは追加で2発撃つことになったのである。
そしてその一部始終はビデオに録画されていた。
このあと奇妙なオーラをビンビンに放つ両親との隠ぺいを巡るやりとりが起きるんだけど…ほんっとーにハネケっていなそうでいそうな?いそうでいない?ヘンな雰囲気の俳優を起用しますよね!!!いや、勿論演技がうまいっていうのも関係しているのでしょうが。ドイツ語だと余計にそう感じるのもあるかも。
それにしても食事シーンまずそう。決して家族が隣合わない食卓も寂しい感じ。
そういえばわたしが行ったオーストリアのホテルは朝食が色とりどりでとても可愛いバイキングだったけど、ミュンヘンの安ホテルの朝食の質素さはやばかった。だってパン黒い上に色あせたチーズと茶色のシリアルだもん。
最後まで罪悪感を感じてるんだか感じてないんだか、「我関せず」という言葉がしっくりくる態度を取り続けるベニーは、結局隠ぺいのために死体の処理をしてくれた両親を警察の手に渡す。
ラストシーンもビデオを映した映像っていうのが良い。
インタビューで監督も言ってたけど、意識的な悪意というのは一般的にそこまで蔓延してなくて、誰もが生まれながらに持ってる歪みみたいな物から突発的に漏れ出てしまうってことの方が多いんだろう。
ベニーも両親もハタからみたら変な行動をとっているんだけど、決して極悪人と言うわけじゃない。
映画の中で描かれる人物は「これは悪役!これはヒーロー!」とはっきり分けて見ることができる存在が多いけど、ハネケの作品だとそうはいかない。
身近にいるかも、いや、もしかしたら自分かもしれない。
そんな気がして来て娯楽として消化する事ができないのだ。
…と書いておきながら映画を観終わった後私はショックに打ちひしがれるわけでも物思いに浸るわけでもなく、冷蔵庫からヨーグルトを取り出して、慣れた手つきで皿によそいながら、なんならフローズンフルーツで飾り付けまでして冷静に、画面の中でインタビューに答えるハネケ監督の顔を眺めていた。
そうまるで、少女を殺した後平然とキッチンにいたベニーの様に。
紫陽花アイ愛物語
今日ももうこんな時間!
そうだ、まだ名前を名乗って無かったですね。
完全に仮名だけど、さや って事にします。
以前派遣で働いた某キャバクラの時に使ったありふれた源氏名です❤
一度でも体験したことがある人は分かると思うけど、源氏名考えるのって面倒ですよね~
…まあそれはおいといて
なんとなく大学の講義を受けて、終わって、電車にのり、
最寄駅について駐輪所で精算しようとして財布を開けると
30円くらいしか入ってない
今日給料日だ!口座に給料が振り込まれているはず!
とATMにいくと
10日払いの給料が振り込まれてない!!
↑その時の私
某ガールズバーの給料が!!!!
オープン時から真面目に働いてたのに「デブ」と因縁つけられてシフト週4から週1に削られたクソみたいな店の給料が!!!!
振り込まれてない!!!!
「おい!!!自転車だせねーじゃん!!!!」
(わたしは毎月給料日前になると口座を空っぽにしてしまうクズなので、給料が振り込まれていない=預金0円なのだ)
しかし、自宅にある別の銀行の口座カードには数千円残っていることを思い出し、
とりあえず徒歩で帰宅し、しばらくしたら出直そうということに。
のんびり夕飯を食べ、エントリーシート書かなきゃ―とツイッターに投稿したりしているうちに夢の世界に行ってしまった私は、日付が変わったころに目を覚ました。
「あ、自転車取りに行かなきゃ」
外は雨。
できることなら朝まで待ちたいが、そうすると駐車料金がかさんでしまうので雨がっぱを着て出かける決心をする。
・・・ん??
自転車の鍵どこいれたっけ????
すぐに物をどこに置いたか分からなくなってしまう「3歩歩いたら忘れる」を地で行く鳥頭のさやさん
かばんをひっくり返し、布団をひっくり返し、洋服もひっぺがえして見るが、
ない。
ないないない。
どこにもないのだ。
しかし時間は刻一刻と過ぎてゆく。こうしている間にも延長料金はかさんでゆく一方だ。
私は家を飛び出した。
(駅に届けられているかもしれない。そういえば、帰り際に駅でかばんを漁った気がするし、落とした可能性は十分にある)
わたし「すいません、自転車の鍵の落し物って・・・」
駅員「ないですねー」
即★殺
ヨロヨロしながら駐輪所につくと、道路工事をしていて立ち入り禁止になっていた。
気を使って警備員が丁重に通してくれたので、静かに精算をすませる。
「鍵、渡していただければあけて自転車出しておきますよ~!」
「すいません。鍵、落としたんでないんです。」
不毛なやりとりである。
私に残された手段はひとつしかなかった。
鍵のかかった自転車を抱えて、雨の中およそ徒歩10分の距離を歩くことだ。
夜更けの町にしとしとと降り続く雨
それでも人通りはそれなりにあり、道行く人々はほとんどがサラリーマンか、カップルだ。
傘のない恋人を迎えに来たのだろう、スウェット姿で足早に駅へと向かう女性もいる。
そんな人々の横を
傘もささず 雨がっぱを着て びしょびしょになりながら
自転車をかかえてゆっくりゆっくり前進していった
重い。
傍から見たら完全に自転車泥棒である。
途中コンビニにより、ATMで給料が振り込まれているかもう一度確認した。
そしてえんやこらと自転車を運び泣きながら帰り、寝室に行くと
なくしたはずの鍵がころがっていた。
灯台元暗し
この言葉が脳裏に浮かんだ。
とりあえず明日になっても給料振り込まれてなかったらでんわします
こんな辛い雨の夜に聞きたい名曲
それでは明日締め切りのエントリーシートの記入に戻ります。
永遠に続く五月病
なぜ、こんな時間に、ブログを始めたのか。
わたしにもよくわからない。
だけど、安全に、自分の頭を整理する場所が必要な状況であったことは確かだ。
私は俗に言う就活生をしている。
どこにでもいる、ひっつめ頭でリクルートスーツを着ている女子大生。
量産型のひきつり笑いをうかべながら、自分の大したことない経歴を盛りに盛ってふんぞりかえることが仕事だ。
毎日毎日出さねばならないエントリーシートは溜まる一方。
常に自分の強みについて考えなければならないと言う馬鹿馬鹿しい環境の中で、正直他人から「どうなの?」と疑問を持たれるような点ですら、巧みな言い換えで長所に変換するペテン師のような能力だけが向上していく。
そしてスーツを脱いだ夜には、派手な化粧を施し、男性と共に杯を交わす仕事―俗に言う水商売のアルバイトに勤しんでいる。
昼も夜も、社会人とふれあう。
詳細な希望的キャリアプランを述べなければならない昼と
気安く話しかけやすいねーちゃんを気取らなければならない夜と
分裂しそうになりながら、静かに大学の授業も受ける私が
どーにかこーにかしっかりとした脳みそを維持するために日々の記録をするのが
このブログの主旨である。
おわかりいただけただろうか!
そんな感じで。今日はここまで。
もうすぐ日が昇るね。