ベニーズ・ビデオ
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本日は学校を気づいたらサボっていた。
充分間に合う時間に起きていたのに。
今朝私の目を覚ましたのは目覚まし時計でも日の光でもなかった。
自宅の目の前にある小さな中学校の運動会の練習である。
怒鳴る教師、アナウンスの練習をする女生徒、応援練習をするダミ声。
閑静な住宅街に似つかわしくないその騒々しさにわたしは眉をひそめた。
ちっとも良い目覚めじゃない。
起き上がるのも面倒だったのでわたしはそのまま横になっていた。
運動会の練習がやっと終わったと思ったら、今度は工事の音が聞こえてくる。
けたたましいドリル音と同時に家が揺れる。
グワン グワン
耐えきれず起き上がって朝食を取るが今度はめまいがしてくる。
工事が終わるとわたしはまた横になった。
一日の始まりに全てのやる気を失ってしまった。
勿論、学校の授業はとっくに始まっている。
もう一回も休めなくなってしまった授業がまた、増えた。
既に留年しているから一単位も落とせない状況なのに私の心はどこか麻痺していた。
布団に横になっていると世間のことはすべて絵空事の様な気がしてくる。
大学も就活も、自分がモテないとかブスとか、そういう余計なことぜんぶ。
目をつむる。
少しずつ意識が遠くなっていく中で、遠くから笛の音が聞こえる。
どうやら運動会の練習が再開したようだ。
しかし先ほどまではあんなに気になった騒音も、もうほとんど夢の中に入った私の頭には届かなくなっていく。
完全に別世界、わたしは一人だった。
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さやです。
今日は夕方面接に行ってきました。就活です。
和やかな雰囲気で進むグループ面接。自己紹介で私の通っている大学が他の生徒よりも圧倒的に知名度があり偏差値が高いと分かると、無意識に肩の力を抜いて話すことができた。あまり良くないことだけれど、やっぱり学歴と言うのは確実に一つの安心材料になってくれる。逆に周りが東大生しかいなかったら絶対震えてしまうもん。
まあそんな感じで面接を終えて帰宅し、先日借りた『ベニーズ・ビデオ』のDVDをみたのです。
ミヒャエル・ハネケ監督の作品はたしか『ファニーゲーム』『隠された記憶』『ピアニスト』をみたのかな。
後授業で『セブンス・コンチネント』も断片的に見たな。水槽ガシャーン!てするとことか
どちらにしてもいずれも初期作品ですね。
私自身オーストリアやドイツには何度か行っていることもあって、この彼の映画特有な冷たい映像も、なんとなく立体的に見えてくる感じがある。
ハネケの作品には映像が映像であることを観賞者に意識させる、異化効果的な演出がよくなされている。
上記の私が観た作品の中だと『ファニーゲーム』『隠された記憶』が分かりやすい。
本作も例にもれずそうで、ベニー少年が撮りためた映像やテレビのニュース映像が映される画面が現れるシーンが数多く存在する。
『隠された記憶』もそうなんだけど、ヨーロッパ特有の、空爆だったり難民だったり、そういったニュースが沢山出てくるんだよね。
でもなんかやっぱりそういうニュースってどんなに深刻でも日常においては人ごとで、ベニー少年にとっては自分で撮影した家畜の豚が撃たれるビデオの方がよっぽど面白いわけ。
2016年の今、映像だけじゃなくて、SNSの普及やらなんやらでコミュニケーションですら画面の中で行われるようになった。色んなことが人ごと、机上での出来事に感じる経験は普通の人なら誰でも持っていると思う。
現実が、自分の身の上話が、なんか遠い。
・・・だからって女の子殺した後あんなボーっとしてられないけどな!!!爆
ベニーは行きつけのレンタルビデオ屋の店先で出会った少女をはずみで銃殺してしまう。
はずみ といっても撃ち込んだのは3発。
少女が痛みと恐怖で叫び声をあげるので(当然ですね)黙らせるためにとり乱したベニーは追加で2発撃つことになったのである。
そしてその一部始終はビデオに録画されていた。
このあと奇妙なオーラをビンビンに放つ両親との隠ぺいを巡るやりとりが起きるんだけど…ほんっとーにハネケっていなそうでいそうな?いそうでいない?ヘンな雰囲気の俳優を起用しますよね!!!いや、勿論演技がうまいっていうのも関係しているのでしょうが。ドイツ語だと余計にそう感じるのもあるかも。
それにしても食事シーンまずそう。決して家族が隣合わない食卓も寂しい感じ。
そういえばわたしが行ったオーストリアのホテルは朝食が色とりどりでとても可愛いバイキングだったけど、ミュンヘンの安ホテルの朝食の質素さはやばかった。だってパン黒い上に色あせたチーズと茶色のシリアルだもん。
最後まで罪悪感を感じてるんだか感じてないんだか、「我関せず」という言葉がしっくりくる態度を取り続けるベニーは、結局隠ぺいのために死体の処理をしてくれた両親を警察の手に渡す。
ラストシーンもビデオを映した映像っていうのが良い。
インタビューで監督も言ってたけど、意識的な悪意というのは一般的にそこまで蔓延してなくて、誰もが生まれながらに持ってる歪みみたいな物から突発的に漏れ出てしまうってことの方が多いんだろう。
ベニーも両親もハタからみたら変な行動をとっているんだけど、決して極悪人と言うわけじゃない。
映画の中で描かれる人物は「これは悪役!これはヒーロー!」とはっきり分けて見ることができる存在が多いけど、ハネケの作品だとそうはいかない。
身近にいるかも、いや、もしかしたら自分かもしれない。
そんな気がして来て娯楽として消化する事ができないのだ。
…と書いておきながら映画を観終わった後私はショックに打ちひしがれるわけでも物思いに浸るわけでもなく、冷蔵庫からヨーグルトを取り出して、慣れた手つきで皿によそいながら、なんならフローズンフルーツで飾り付けまでして冷静に、画面の中でインタビューに答えるハネケ監督の顔を眺めていた。
そうまるで、少女を殺した後平然とキッチンにいたベニーの様に。